int(2314571)
string(7426) "














妙見山(みょうけんさん)は、兵庫県川西市と大阪府豊能郡豊能町にまたがる山で、山頂付近に「仏堂能勢妙見山」(能勢妙見宮)がある。 ここは、能勢町地黄の日蓮宗眞如寺の飛び地境内だそうだが、本家の眞如寺より参拝者が多いそうだ。 能勢氏は清和源氏(多田源氏)の末裔だという。 信長上洛のとき、当時の城主能勢頼幸が信長に従ったかどうかは不明で、足利幕府奉公衆として仕えた立場だから、信長が奉じる足利義昭には従うという態度を取ったのだろう。 そういう能勢氏のあいまいな姿勢は、天下統一を目指す信長にとっては目障りだった。 跡目騒動で能勢氏の城下町では血が流される騒動が起きたものの、なんとか嫡男頼道が跡を継いだ。 あるとき信長の命を受けたと思われる塩川国満が頼道を山下城に招待し、宴会が催された。 宴たけなわのとき、塩川勢が頼道らに打ちかかり家来共々討ち取られる。 引き続き塩川勢の攻撃を受けた能勢氏側は、急遽弟の頼次を立てて妙見山に籠もり抵抗を続けた。 信長に兄を謀殺された能勢頼次は、本能寺の変の際には隣接する亀岡の明智光秀に兵500人を出したため、秀吉軍に攻められ神社仏閣ことごとく焼き払われてしまう。 頼次は数名の家来と南北朝期に備前に領地を得た一族を頼り、備前岡山の城下へ落ち延びる。頼次は、かつて能勢氏の寄進で建てられた岡山市船頭町の日蓮宗妙勝寺に落ち着く。 以後能勢地域を治めたのは、能勢妙見山のふもとで生まれたキリシタン大名の高山右近だったというから、これ以降能勢一帯にキリシタンが増えていったことだろう。 時代は変わり徳川家康の時代になったある時、家康が京都の日蓮宗実相寺で休息した折に、その住職が能勢頼次の弟であった縁で、頼次は家康に召し抱えられる。 関ヶ原の戦いで能勢頼次は徳川軍勢として戦功を立て、かつての能勢氏の領地を回復される。能勢氏の家紋は、この能勢頼次の時代から切り竹矢筈十字(写真)が使用されている。 妙見山山頂付近には「星嶺」(せいれい)という、能勢妙見宮の紋章をかたどった信徒会館があり、2階の礼拝堂は、床が全てガラス張りという仏教の礼拝堂とは思えない構造だそうだ。山頂には4等三角点が設置されているという。 時代を遡れば、妙見信仰は山口の大内氏が始まりだと言われている。 山口の青柳浦の松の大木に突如星が降り七日七晩輝いた。それは北辰尊星妙見大菩薩のお告げで、百済国の琳聖(りんしょう)太子が聖徳太子に合うために来日される「印」であると言う。 『大内多々良氏譜牒』にその星降伝説が紹介されているそうだが、琳聖太子は後に多々良氏を名乗り、大内氏はその末裔だという。 星が降りてきた松の木がある青柳浦は、この伝説のために下松(くだまつ)(現在の山口県下松市)と呼ばれるようになった。 妙見堂が作られた場所は、秩父妙見山などのように鉱山のある場所が多く、「多々良」つまり山師あるいは鉱山技術者たちが妙見信仰の担い手であったことを伺わせる。 大内氏はザビエルが来日して、始めて日本で「公に布教を許可した戦国大名」であり、そのため妙見信仰が大内氏再興とイエズス会の再興を秘かに祈るものとなり、隠れキリシタン信仰の対象ともなったと考えられている。 その能勢妙見山の東京別院が東京の本所にあるという。今度訪ねてみることにしよう。 京都、大阪で活躍した歌舞伎・浄瑠璃脚本作者の近松門左衛門は、鄭成功を主人公とした戯曲「国姓爺合戦」で有名であるが、彼は熱心な妙見信仰を持っていたと言われている。 柳島の妙見さま(墨田区業平五の七の七の妙見山法性寺)の境内から 昭和35年に近松門左衛門の石碑が発掘されたそうである。 「近松の現場へのご招待」によると、 http://ww2.enjoy.ne.jp/~eiichim/edo.htm 「能勢の妙見菩薩は、キリスト教十字架が秘められている仏像であることが発見されています。妙見堂が新しく再建された兵庫県尼崎市の広済寺でも、本年一月末、キリシタン石碑が発見されています。」という下りがある。 あまりにも過激な家康以降のキリシタン弾圧により、人々のキリスト信仰は深く潜行せざるを得なかったであろうし、高山右近が深くかかわった能勢地方の人々にとっては信仰を棄てることもできなかったことは想像できる。 大内氏があがめた北辰尊星妙見大菩薩を代わりに拝むことで、弾圧下での精神の安定を図ったのかもしれない。 江戸時代初期のキリスト教弾圧の激しさを知らない今の私たちにはなかなか想像できないことであっただろう。 近松門左衛門はその隠れキリシタンであったのだろうか? 北辰信仰では房総の千葉氏も有名であり、幕末の千葉周作は北辰一刀流を創設している。 千葉氏の妙見信仰は『源平闘諍録』によれば先祖の平将門から伝えられたとされているが、将門が信仰したかどうかは定かではないようだ。 妙見信仰は比叡の寺門派三井寺(園城寺)に伝わる秘法であったというから、天台宗との関わりで信仰のきっかけを得たのかもしれない。
xvpbvx |